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■■■■■■ 与那国 ■■■■■■



□□ 与那国(よなくに) 花織 □□

メールマガジンより



本当に



・・・・静か

こんな体験をしたのは、

いつでしょう。

ず 〜 っ と子供の時以来
・・・・・だろうか

その静けさを、
旨くいえないが

島全体が、静かで、
よ〜く気をつけると

ひとつの音だけが、
よく聞こえてくる。



与那国の
織物協同組合に行った時は、
機(はた)の音
窓にとまる、鳥の声

その音だけ
はっきり聞こえるのですが
全体は静かなのです。


これが、与那国島の印象です。



晴れた日は台湾が
見えるという与那国島
二月十九日那覇空港から、
途中石垣空港を経て
与那国島へ、
着いたのは十一時
島には、2台のタクシーと、
レンタルバイクと、
レンタル自転車、
それとレンタカー。

与那国伝統織物協同組合
に行く予定で、
私たちは、
レンタカーを借りに。
手続きをすまして、
車に案内されるかと思いきや、
「空港を出た所の前に、
車はありますから」
といって、
車まで案内することもなく、
渡された車のキー
「白いカローラのバンです」


空港を出て、
駐車場を探しても見つからず。
(駐車場といっても、
車が20〜30台
止めることが出来る
スペースで無料)

はて、
「どこに・・」
と探していると
本当に、空港の出口を
でたすぐ左側に、
おまけに鍵もかかっていない。
一同 「ヘエ〜〜」と


道を聞くと、
「空港を左に出て
初めての信号を左に
入っていくと、ここに」
と地図で説明を受け、
そこをなぞるように、
確かめていると、
「ここの集落は、
信号が1つしかないので
間違えませんよ」

「それと、地図では
道が広くかかれているが、
結構細いです」
とのこと。


納得し、それに従って、
一度道を教えてもらっただけで、
組合につきました。
といっても、
空港を出て10分もかかった?

与那国の歴史
与那国島は日本最西端にある
国境に島です。周囲
30キロの島の周りは
切り立った断崖がつづきます。
荒波が打ち寄せる所から、
昔はドゥナン(渡難)
の島と呼ばれていました。
この島の織物の歴史は古く
、およそ五百年は数える
と考えられます。
  −与那国花織の資料より−


その昔、
首里王府への献上品として
島の織女たちが織り込んだ、
花織。
経糸の一部を浮かすことによって
手で触れれば、
浮かぶ、花織や幾何学模様
読谷の花織とは違い、
裏側に糸の渡りがないのが
特徴です。
花織といわれるのは、
おもに、
花を織り込んだ織物のためで、
その花の枚数によって
呼び分けられています。
たとえば、
ドゥチン花・イチチン花
などのように、
花の枚数で文様を呼び分けます。


ティーザジ(手巾)
ここにも、以前読谷の
花織のところで紹介した
ティーサジ(手巾)
がありました。
こちらのものは、
やはり大切な人への贈り物
として織られたものには
変わらないのですが、
読谷は織った人と、
送る人の共通の意味の
ある文様であるのにたいし

与那国では
外に出て行く(船での旅)
ことでの象徴で
ティーサジの七本の織り柄は、
七つの海を
七つの織り柄両方を囲むように、
二本、その二本を足して、
九つの無事を祈る
という意味合いで織られる
そうです。

組合の理事長の三蔵さんが、
実際にお祭りなどで使う
やりかたで頭に巻いてくださいました。
     

全てが自己完結する織物
今でこそ、糸は島以外から買っていますが、
それ以外の
染料から始まり → 糸染め
 → 綜光  → 織り
全て一人の織女さんが織るので、その思いや、クオリティの高さが
織物に現れるのだと思います。

途中一人の織女さんを紹介して頂き、
仕事を見せて頂くことが出来ました。
彼女は、与那国島出身ではないのですが、
島の昔からの家を借りそこに住み、
織物をしながら、子供を育てています。

その時急に
雨が降り出し
だんだんと強くなり家に上げてもらいました。

23〜24度あった気温は、
夕方にはすっかり下がり肌寒さを感じ
しだいに、風も強くなり


風土の優しさと、自然の厳しさ

そのことすべてが、
与那国の花織に織り込まれているのだと
そんなおもいで、
手にした与那国の花織でした。

暖かく晴れた与那国空港
与那国伝統織物協同組合です
踊りの時の使い方です。 ティーサジ
染色をする所です。
にわかに雨が降り出し
帰りには、風も強く吹いてきました

与那国花織、一反分けて頂きました