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さらら着物提供(2005年3月17日発行)


 


少し前に、「長崎ぶらぶら節」という吉永小百合と渡哲也が出演した映画があります。

映画の内容:
時は昭和初期、江戸の吉原、京都の島原とならび日本三大花街として数えられた丸山という遊里ありました。そこで芸者をしている愛八(あいはち)こと吉永小百合が歌う昔から歌い継がれている名も無き歌を後世に残そうと、長崎の歴史研究に全てをかけた学者・古賀十二郎の調査史書していく物語です。

その中で、愛八こと吉永小百合がレコードを出す場面がありますが、今と違って昔は地方でもレコードを出して、地域〃のスターがいたのでね、またそれらの歌謡を文人たちが地域の文化として大切にしていたみたいです。

徳島においても、資料によると、お鯉さんこと多田小餘綾(こゆるぎ)さんは昭和六年に日本コロムビア大阪支社で「徳島盆踊唄(よしこの)」「徳島風景」をレコードに収録、翌年発売。昭和七年にはNHK大阪放送局ではじめてラジオに出演。翌年NHK徳島放送局が開局すると、しばしばラジオに出演することになりました。その後、昭和十年にはポリドールレコードから「阿波踊り(よしこの)」「せきぞろ」を、翌十一年にはタイヘイレコード(帝蓄)と専属契約を結ぶ。「東の市丸、西のお鯉」として全国に知られるレコード歌手、日本の「歌姫」となったのでした。


その往年の大スターが今回のさららのゲストです。


お鯉さんは、明治四十年四月二七日に多田仙次郎(藍香、東洋亭金波)家の三人姉妹の末っ子として生まれた。本名「小餘綾」は、歌枕の「こゆるぎの磯」にちなみ、また、磯=五十にかかる歌枕でもある。父・金波が五十路を越えた時の娘であることから命名されました。 三味線を習い始めたのは小学校入学前の時。小学三年、数えで十歳の折、富街芸妓衆の清元や三味線の指導にあたっていた師匠清元延喜久(高橋シゲ)に弟子入りし、本格的に三味線を修行しています。そして現在、九四歳を迎えた今も現役として舞台に立っています。

やはり芸を磨き極めた人は、さすがに幾つになっても心がけが違うと思ったのは、撮影会場に来たところでお話を伺ってみると、写真撮影があったので前日から水分をひかえて早寝したそうで、顔のむくみなど気をつけられたのでしょう、プロとしての心構えの違い、観る人に感動を与えるということは、このあたりにもあるのだと感じ入ったしだいです。
夢は「百歳のよしこの」とのこと、お元気で活躍して頂きたいですね。


 

 

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